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2020-12

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言語

2020-07-01 (Wed) 20:57[ 編集 ]
ひまわり子どもの家より

今日は言語教育についてお話します。

モンテッソーリ教育の言語活動は基本的に
聞く・話す・書く・読む 
という順番で行っていきます。

聞かないとしゃべれませんね。
しゃべるようになってから書かないとなかなか覚えられませんし、字を書きたいと思う時期に教えていくのが最適です、
読むことはできても読んでその意味を理解するのは時間がかかります。
誰かに読んでもらえば意味を理解することができるというのが普通ですね。
ですので、上記の順番になります。

あくまでも順番ですので、お子様の年齢や発達状況に応じて提供していきます。

聞く
絵本を読んでもらう。
お話を聞く。
が基本になります。
語彙の拡充も行っていきます。

話す
自分の気持ちや感じた事を話していく活動や、伝言ゲーム等、日常的に行っていきます。

書く
最初は文字の札を置くことで書いていきます。
その後、砂文字盤を使い、なぞることをしてから紙に書いていきます。触覚を使うことで筋肉記憶にとどめるよう指導していきます。

読む
文章を作成したり、文法や品詞の役割について学んでいきます。

大まかにはこうなります。



おたまじゃくし

2020-06-29 (Mon) 22:11[ 編集 ]
ひまわり子どもの家より

もうそろそろ田んぼにはカエルが出てくる頃ですね。
昔は市川にもあちらこちらに田んぼがありカエルの声をよく聞くことが出来ました。

かえるの子どもはオタマジャクシですね。
カエルのお母さんがオタマジャクシに『もう水からでて土においで、大丈夫お母さんがいるから』と手も足も生えていないオタマジャクシに言ったとします。
オタマジャクシはお母さんの言う通りに土に上がったらどうなるでしょうか?
ご想像の通りでしょう。

これはあるモンテッソーリの本に書いて有った文の引用です。

つまり、子どもの成長がまだそこまで言っていない時期にその子どもの成長を理解せずに現状以上の事を望むと言う事は子どもの成長を止めるもしくは、心を殺すのと同じと言う事です。

手が出る、足が出るというのはそのカエルの発達に対しての地図のようなものが体にあると言う事ですね。

人間の子供にもあります。
その子によって早い遅いという事は大した問題ではなく、その子のペースを尊重し、手助けすることに趣きをおくことが大切だと思います。

適切な環境に身をおけば、必ず手も足も生えてきます。

子どもは待てます。



感覚を鋭敏にする

2020-06-27 (Sat) 12:44[ 編集 ]
ひまわり子どもの家より

あるモンテッソーリ協会の理事の方がベトナムの奥地にモンテッソーリを教えにいったときのお話を聞きました。

その方が言うにはその地域では感覚教具がいらないそうです。
正確に言うと必要ないという事でした。

つまり、この地方の人間は日常的に感覚をよく使う生活をしているため、あえて感覚教具を使わなくてももう十分感覚が鋭敏なのだそうです。

モンテッソーリは約120年前のイタリアですでに感覚教具を使う重要性を説いていたにもかかわらず、
現代のある地域ではいまだに必要ないほど感覚機能が優れた人達が存在することに驚いたそうです。

電気もない、自給自足の物々交換の世界ですから、ありえなくはないのでしょうが。
現代では特殊な生活をしているとは思いますが、ある意味うらやましくも感じます。
多分この地域だけではなく私が知らないだけで世界にはこういう所がまだまだあるのではないでしょうか。

反対に現代の生活がいかに感覚を鈍らせているかも考えてしまいます。

利便性の追求の結果による因果応報なのでしょうか。

生活形式がよくなることに異を唱えているのではありません。大きなものを手に入れることによって、喪失するものの大きさにも目を向け事は必要だはないのかという意味です。

パソコン・スマフォの普及により、世界が身近になり、四角い画面の中で体験できることも多くなりましたが、逆にそこに行って肌で感じる体験や感動なども減っているかもしれませんね。

特にこのご時世ですので不安もあります。
子どもたちにはより実感できる体験が必要なのではないでしょうか。


過程を楽しむ3

2020-06-25 (Thu) 19:44[ 編集 ]
ひまわり子どもの家より

昨日の続きです。

2つの畑があります。その畑は肥えとても良い土の畑です。その二つは場所は近いけれど土の質が異なるため、ある花は良く育ちますが、もう一方はそんなに育たないとします。
よく育つ畑の持ち主は水をやるだけの世話で済みますね。
ではあまり育たない畑の持ち主はどうでしょう?
彼は肥料を与え、いろいろ試行錯誤しながらその花が育てなければなりません。つまり手間がかかるという事ですね。
この彼がこの花が好きでたまらなかったら、苦ではないでしょう。
反対に良く育つ畑の持ち主がその花が嫌いだったら、水を上げるのでさえ苦痛でしょう。

あまり育たない畑の持ち主の花は、『なぜ育たないのかな?』『こっちの肥料にしようか? まだ駄目だ。こっちにしよう』と色々試し、育てた花と、苦痛を伴いながら育てた花では、他人は同じ花に見えたとしても個々の花への思いと達成感の違いは明らかですね。

この畑と畑の持ち主は子どもです。

初めはうまくできなくても、そのお仕事が好きで、自分で工夫していくことで必ず上手になる。

この経験を通して自分の育て方を知ったと思います。

子どもはみんないい畑を持っています。
この肥えたいい畑にはきれいな花も咲きますが、外から飛んできた種で雑草も生えます。
この雑草を抜くのも子どもです。
でも綺麗な雑草もありますね。
これは雑草なのか、きれいな花なのか選ぶのも子どもです。

良い経験が子どもの選ぶ目を作っていきます。


ちなみに教師は・・・・

種をまくひと。
肥料の相談にのります。

『この雑草は畑を壊す!』時だけお手伝いします。



過程を楽しむ2

2020-06-24 (Wed) 19:19[ 編集 ]
ひまわり子どもの家より


過程を楽しむことは生きるという事と言うお話をしました。

大きくなるにつれ、楽しいだけでは済まない事、やらなければいけない事も出てきますね。
大人になればなおさらです。

そういう時に自分が楽しめることが何かあるととても良いですね。
『嫌だ嫌だ』だけでなく、発想の転換をし現状を変えていく事が出来る力を持っている事が自分を助けるのではと思います。

どんな時も強い心を持って対峙できると言う事は、その人自身の自己評価が高くないと出来ません。

ただ自己評価が高いだけではなく、そこに根拠となるものが存在していることが必要ですね。

日々の生活の中で培う自信はやはり自分自身でしか創造することは出来ません。

何を楽しみ、何を行い、どう過ごしたかによって、その人の人格形成の基礎となります。

価値感や想像力、創造力等、人間の持つ後天的な思想は
幼児期の過ごし方との関わりが大きいと思います。




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